何故に「富滋味」という焼酎をPBブランドで創ったかを読んで頂きたいと思う。fujimi2

と云うのも昨年の3月23日仕事が終わったのが午後11時40分ぐらい・・・。
その頃、24段ギアの自転車で帰宅するのが楽しく、日に日に自転車での
帰宅時間が短縮していった頃であった。

この夜も自転車に跨り心地よく漕ぎ出し、熊本北警察署の前を気持ちよく
過ぎていったのだが、次の瞬間、意識が戻って目が覚めたのが、なんと
熊本大学付属病院のICUのベッドであった。

なんと20時間ぐらい意識不明の状態で、話を聴いてみると何とびっくり
熊本北警察署を過ぎた次の交差点を左折していたとき転倒したらしく、
道路に激しく頭部をぶつけてしまい意識不明のまま深夜の道路に転がって
いたと云う・・・・。

たまたま近くの家の方から北警察署へ「すごい音がした・・」と通報があり、
当直の警官たちが確認しに来て見ると私が転がっていたということであった。

結果、熊本大学付属病院によると「脳挫傷」「頭蓋骨骨折」「硬膜下血腫」「骨盤骨折」
と云うフルコースの診断であった。

その後、転倒から九日後には転院したが、それから二ヶ月と云う治療過程の中で脅威の
回復を遂げることができ、なおかつ後遺症も皆無と云うことになった。

この話を高校の恩師であり、久留米大学附設高校の国語の先生をされていた
西原和美先生にお話したところ、このラベルのお地堂さんとお言葉を頂戴したという
ことで、私の愛飲している球磨の米焼酎をベースにプライベートブランドを創ることとした。

また後日談であるが昨年秋から喉の調子が悪く、国立病院機構 熊本医療センターで
原因を追究していたが、今年の平成25年2月には喉頭癌と云う診断をされてしまった。

一時は気落ちしていたが全力で癌に打ち勝つため放射線治療に取り掛かった。
残念ながら、この放射線治療期間は飲酒はご法度で、33回の照射後の4月22日
から再び「富滋味」を楽しむことができるようになった。

その後、7月18日に放射線治療での患部生検の結果、がん細胞が完全に患部から
消滅しているとの結果になった。

なんとも西原先生に書いて頂いた「富滋味」であるが、二度も富滋味に命を救われるとは
まさに運命に「生かされている」と云うしかない・・・・。

ぜひ、皆様も何か人生が詰まってしまったとき、この富滋味を飲んで癒されてみては
如何だろうか・・・きっと、明日を生きる意欲が滾(たぎ)るに違いない・・・。

よみの國から
よみがえり・・・

不死身、不死鳥の美酒で
いきぬき、そして生きぬく・・・・